訪問日:2023/07/01 |
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●内田蓮園・巨椋池について巨椋池とは、かつて京都府南部に存在した池で、現在の京都市伏見区・宇治市・久世郡久御山町に広がる広大な湖のような大池でした昭和8年から昭和16年(1933年~1941年)にかけて行われた干拓事業により、現在は農地になっています この巨椋池には蓮を始め多くの水生植物や生物が生息していたと記録に残っています (詳細はWikipediaなど参照) 前述の通り、巨椋池にはかつて蓮が自生しており、埋め立てと共にその姿を消すことになったのですが、現在にもこの巨椋池の蓮は伝えられています それはこの巨椋池のほとりで生まれ育った一人の蓮愛好家の男性が大きく関わっているのです 蓮の花を世界で一番愛した男と称される内田又夫先生が生涯にわたり多くの種の採集と保存をこの地で行ってこられました 内田先生は京都久御山の一口(いもあらい)という場所で生まれ育ち、幼少期より巨椋池とその蓮に触れてこられた方です しかしながら、前述のとおり巨椋池は干拓され、蓮もまた姿を消すことになりました そんな中、内田先生は干拓され農地と化した巨椋池跡地でかつての蓮の種を採集し、育成し続けられました 5月の田植え後の水田に種から発芽した幼苗があればそれを採取し、育成され、また種を見つけては播種し育成されていました 今日までに伝えられている巨椋池の蓮は、内田又夫先生をはじめ、蓮を愛する育成家の方々が採種・保存・育成されたものとなります (例外として巨椋池が干拓される前に採取された唯一の品種『巨椋斑』というものがあります) ●内田蓮園東一口の田園地帯の一角に内田蓮園はありますここでは巨椋池から蘇った蓮だけではなく、多くの蓮の品種が保管育成されています ![]() 訪問したこの日は生憎の雨天(小雨程度でしたが)であまり蓮の花を観賞するには良いコンディションではありませんでしたが、運が良かったのか、幾つかの品種の開花を見ることができました ![]() こちらは『月の兎』 内田先生が育成された品種の一つで小型品種『漢蓮』の実から育成されたそうです 我が家でも育成しているのですが未だ開花しておりません ![]() ![]() さまざまな鉢が並べられており数も膨大です 蓮への想いと愛が強い場所となっていました ●巨椋池干拓地![]() 次に移動して干拓された巨椋池の跡地をぶらりと見て回りました 事前情報では今でも一部の場所では自然発芽して蘇った蓮が田んぼの中に育ち花を咲かせているとのことだったので、実際に見てみたいと思い散策してみました 田んぼなのに蓮根が生き延びているのは耕運機では届かない深い所に蓮根がある為と言われています というわけでしばらく田園地帯を歩いていると、見つけることができました 場所は向島二本柳という場所の端(?地図を見て確認しましたが地名が合っているのかは分かりません)にあたる場所でした ![]() ![]() 本当に何の変哲もない田んぼだらけの一角、その中の一つに蓮が生えていました 干拓されて80年以上経つというのにこうしてその姿を見せる蓮の生命力には感嘆とさせられます ![]() ![]() その後もしばらく散策を続けていましたが他には見つけられず、続いて京滋バイパスの下側に移動してみました しかしこちらも同様、何もない・・・ ![]() と思っていたのですがとある田んぼの岸辺にぽつんと蓮の葉が展開していました 周囲どこを見渡しても蓮の影も形もない場所で 一応、巨椋池蓮図鑑と補足資料を持っているのでその情報を確認すると、蓮が自生していた場所ではあったようです 内田先生はこういう幼苗を見つけては採取し、育成されていたのだろうと思います 今回時間と天候の事がありあまり見て回れなかったのですが、今でも巨椋池の名残を感じることができる訪問になったと思っています しかし、京滋バイパス付近にもっと蓮が見える場所があるという情報があったのですが、そちらは結局確認できなかったのでまたいずれ見に行ってみたいと思っております ●巨椋池の蓮の事をより詳しく知りたい方京都花蓮研究会より刊行されている『巨椋池蓮図鑑』に詳細が載っていますのでより知りたい方はこちらをお求めください今回探訪したルート ![]() (クリックで拡大表示します) |